親類が難病になりまして

 元日、年明け直後に書いていたエントリを公開。

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 やっと状態(常態)が見えたので書ける。


 2008年12月中旬、タイミングを合わせて上京してくれた両親*1と少々早目の忘年会をしているさなか、父がぽろっとこんなことを言った。

「そう言えば、○○さんがまた入院してさ」

 また、というのは、一年半ほど前に○○さんが食当たりで入院したことを受けてのことだ。

「ええっ、なんでまた」

「それがね、原因不明の奇病で」父の語り口は言葉、発声ともに常に明解だ。「手足がしびれてるんだって。こう、親指の付け根のふくらみが消えてるんだってさ。神経系の専門病院で検査してるらしい」

 迂闊にも、というのは本来おかしいが、ともかく、私は最近なだいなだのとある小説を読んだばかりだった。なので、親指の付け根云々の症状からすぐに「筋萎縮。アミトロ*2か」と(単純にも)思った。父も母も特に思い当たる病気はないようなそぶりだった。実際に頭の中で何を考えていたかはわからない。


 両親はそれぞれ帰り、それからしばらく、アミトロかもしれない○○さんのことが頭を離れなかった。アミトロは死ぬ病気だ。寿命が目に見えて決まるってどんなもんだろ、と考えたり、○○さんの息子さんたちはどう感じているのか、などと考えたりした。私には○○さんと話した思い出がほとんどなく、親族という関係性の印象ばかりが強かったので、思い切り取り乱したりすることがなかった。そんなこともあるよなー、と達観したふりをする、という醜悪なこともやった。誰かにぶちまけてみようか、と思い、結局誰にも言わなかった。


 頭を離れなかった、というのも厳密に言えば嘘で、ときどき思い出してただけだ。自分の思い込みによる決め付けを極力遠ざける、という建前でもって確認を嫌がり、アミトロの諸症状をネットで調べることもせず、郷里の父にその後はどうなったかとせっつくこともせず、Twitterにpostしたりもせず、二週間ほど仕事に集中し、その合間に大槻ケンヂと絶望少女達のアルバムを聴いたり、積んでいたラノベを読んだり、ポインセチアをもらい受けたりして、帰省した。


 で、一昨日、父に直接会ったとき、「○○さん、どうだって?」と訊いた。


「ああ、そうそう。○○さん、また入院してね、本当に難病だったんだ。ギラン・バレー症候群っていう」

ギラン・バレー症候群?」

ゴルゴ13と同じ病気」


 申し訳ないけど、ちょっとかっこいいと思ってしまった。だって、ゴルゴ13はまだ連載中で、死んでない。父の話は、どんな治療をしているとか、ちょこちょこ続いたんだけれど、私はギラン・バレー症候群のことなんか知りもしないくせに妙に安心してしまって、微妙に上の空で聞いていた。しびれ、という症状をもっと意識していたら、アミトロだなんて誤解しなくても済んだかもしれない、と思った。


 そして、さっきギラン・バレー症候群についてネットで知識を漁り、「治るらしい」ということを突き止めて、今日からはぐっすり寝ると思う。年下の従姉妹たちに対するお年玉ももう包んだ。


 こうやって書いてみて、やはり、すごく虫のいい話というか、現金なもんだなと思う。私の心の動きは浅ましい。油断と浅慮と冷たさが見え見えだ。そんなもんかもしれないなー、と思う反面、そんなことでいいのかなー、という気もする。とりあえず、私は○○さんの直近の家族ではないし、○○さんには数人の家族がいて、その家族に比べれば私が受ける影響は微々たるものであって、その落差の存在自体はもうどうしようもないことで、とか、あれこれ考えた。自分の浅ましさにちょっと嫌気がさしたりもした。


 とりあえず、○○さんはしばらく死なずに済むみたいだから、それを自分の中で(だけ)思い切り盛大に喜ぼうと思う。リハビリが大変らしいから、応援したい。ついでに、ギラン・バレー症候群と、合わせてアミトロについても調べて頭の片隅に留めておけば、校正業の役に立つときが来るかもしれない。それと、いろんな人にきちんと「あけましておめでとうございます」と言おうと思う。


 みなさん、あけましておめでとうございます。

 私は元気です。今年もなんとかがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。


 以上、新年の挨拶に代えて。

*1:僕の両親は離婚しているので、揃うことは珍しい。だから、両親が揃ったときは往々にして情報交換会になる。

*2:ALS。筋萎縮性側索硬化症のこと